2015年01月06日

欠史八代天皇は実在した

今日の研究者の多くは欠史八代の天皇は実在しないとする。だが私は間違いなく実在したと考える。そのことを論証する。
古代有力豪族系譜の中に、欠史八代の天皇が登場する。一例を挙げるなら物部氏系譜には、欠史八代のすべての天皇名を見る。そして物部氏の歴代の人物が、これらの天皇に仕えたり皇后になったとする。図は各氏族の系譜上に見る天皇名である。
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もしこれらの天皇が実在しないとすれば欠史八代の天皇に仕えたり、皇后になったとする古代有力氏族系譜もすべてが架空系譜となる。
これらの系譜が架空系譜でないとする理由がある。それは有力豪族の系譜同士が婚姻を通じてつながり、世代位置や世代数におおむね整合性がある。このような関係を持った架空系譜を創作することは不可能と考えるからである。しかも一つの系譜は他の系譜とつながり、その系譜はまた別の系譜とつながる。一定の期間をとれば、すべての古代有力系譜がつながってしまうのである。それぞれ独自に成立した系譜同士が、年代に矛盾をきたさないでつながるということは、これらの系譜が事実に基づく伝承であることの証である。
欠史八代とされる天皇たちもこの系譜関連と密接な関係にある。したがって欠史八代とされる天皇も実在したのである。
ただし『日本書紀』が伝えるこれらの天皇の年次や寿命が史実で無いことは明らかである。だが私は古代有力豪族系譜の中にこれらの天皇が登場することから、『日本書紀』の年次や寿命の記事を以って実在を否定するのは軽率すぎると考える。

実在の天皇なら宮や墓は存在したはず

欠史八代の天皇が実在したとすれば、これらの天皇が営んだ宮や彼らが葬られたとされる墓も実在したはずである。
問題は今日の研究者の多くが、その実在を信じないことである。したがって室秋津島宮の伝承地から特異な建物遺構が出土したとしても、それを秋津嶋宮との関連で捉えられないことである。
六代孝安天皇は私が卑弥呼とする宇那比姫命の義理の弟である。宇那比姫命には6人の兄があるが弟は居ない。したがって『魏志倭人伝』が『男弟有りて佐(たすけ)て国を治む』とする男弟は孝安に他ならないと考える。秋津嶋宮こそ卑弥呼の王宮でもあったと考えるわけである。卑弥呼の活躍した年代は二世紀末から三世紀前半である。したがって秋津嶋宮の実在時期もこの時期でなければならない。
後に秋津遺跡と名付けられたこの地から、塀に囲まれた特異な建物遺構が出土した時その年代を尋ねた。すると布留式土器の時代であるとの事であった。すかさず庄内式土器の出土はと尋ねた。庄内式は出土していないという返答であった。その時点で私は私の予想は大きく外れたと思った。布留式の時代であれば三世紀末を大きくさかのぼることは無いからである。秋津嶋宮の実在した年代ではないと思ったからである。
だが室(むろ)という秋津嶋宮の伝承地から出土した建物遺構が、秋津嶋宮と無関係のはずはないという思いが有った。そこで秋津遺跡から出土した遺物を詳細に検討する中で、多孔銅鏃という二世紀代から三世紀前半とされる遺物を見つけたのである。
takoudouzoku.jpg秋津遺跡の年代が卑弥呼の時代までさかのぼると確信した瞬間である。

後に調査主体の橿考研による発掘概報を読んでみると、橿考研が方形区画施設と名付ける建物遺構の年代推定に矛盾があることが解った。
報告書によると、最後に建て替えられた塀と、布留中相または古層とされる竪穴建物を同時代として方形区画施設の年代を布留式土器の年代とする。

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しかしこの推定には大きな矛盾がある。もし最後に建て替えられた塀と竪穴建物が同時代なら、図に描かれる高床式建物は存在しないのである。遺構の斬り合い関係から、高床式建物は二度にわたって建て替えられた布留の時代の竪穴建物に置き換わっているとされるからである。最後に建て替えられた塀が高床式建物を取り囲むこのイメージ図は間違いという事になる。
だがおそらくイメージ図が正しい。竪穴建物は一般的な住居であろう。一方高床式建物は特殊な建物である。これだけ重厚な塀が取り囲む建物は、このイメージ図に描かれる高床式建物であろう。
だとすると最後に建て替えられたとする塀の年代は高床式の年代である。この高床式建物は二度にわたって建て替えられた、布留の時代の竪穴式建物に切り崩されるから、それより古い。さらに高床式建物を取り囲む塀は三度にわたって建て替えられているとする。建て替えのサイクルがどの程度であるか不明であるが、最初の塀が建てられたのは、布留の時代を相当さかのぼることが予想される。私はこの方形区画施設と称される建物遺構が三世紀前半まで古くなると確信する。

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秋津嶋宮の関連施設の一つが出土しているのである。
私は秋津嶋宮の実在を信じるからこそ多孔銅鏃の存在に注目し、橿考研の方形区画施設の推定年代に疑問を持つのである。
一方調査主体の橿考研は、そこから多量に出土した布留式土器の年代と庄内式土器が出土しないことからこの遺構は三世紀後半をさかのぼることは無いとするのである。
孝安天皇という天皇の実在を信じるか否かによって見える風景が全く異なるのである。自分が持つ歴史観や先入観によって見え方が異なるのである。

ここでも見え方が異なる

私は同じような見え方の違いを他でも味わった。
孝安が卑弥呼の政治を補佐した男弟であるから、径百余歩とされる卑弥呼の墓も、この秋津嶋宮伝承地の近くにあると推測した。この秋津遺跡の東1q離れた玉手山に不思議な形の尾根を見たのである。
私は巨大円墳の可能性を感じ、現地踏査を試みた。古墳であることは確信した。
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当初そこを踏査した地元教育委員会は、そこは自然の尾根で古墳ではないと判断した。だが後にそこから遺物が出土したことにより、地元教育委員会もそこが古墳であることを認めた。
No1墳丘盛り土裾あたりから出土した土器片
No1dokihenn-2.JPG

No2とする尾根の墳頂あたりから出土した土器片。
doki-No2-5.jpgdoki-No2-01.jpg

巨大古墳など在るはずがないとする認識と、そのあたりに巨大古墳が存在するかもしれないという認識の差が、自然の尾根か古墳とするのかの見え方の差になったのである。
そこが古墳であることは意見の一致を見たが、尾根全体を墓域とする古墳であるか否かは見解が分かれる。
同じ風景を見ても見え方は全く異なるのである。
あなたには下の写真はどのように見えますか?
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Yahoo地図の航空写真
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この記事へのコメント
前方後円墳についての新知見(林浩司氏による)
大変突飛な説で、俄に信じられることではありませんが、
富士山などのメルクマールとなる地形や
南米のピラミッドやナスカの地上絵を
前方後円墳が指し示しているといいます。

以下の動画をご覧ください。
http://youtu.be/SUsTdIfR528
卑弥呼や邪馬台国の研究にも役立つと思います。
Posted by 板坂健(ハンドルネーム) at 2015年01月18日 20:42
前方後円墳の向きについて特別の意味を見出そうとする説はたくさんあります。しかし奈良県の天理市から桜井市あたりの大大和古墳群、柳本古墳群、纏向古墳群などを眺めると、それらの古墳の向きは実に様々です。
大阪府堺市古市古墳群もしかり。
http://atoriefuji.web.fc2.com/img/furuiti.jpg
築造の向きに何か統一的な意味を見つけることが出来ますか?
また私が知る範囲では2重の周濠を持つ古墳は他にもたくさんあります。
真の継体天皇陵ではないかとされる今城古墳なども2重の周濠を持ちます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E5%9F%8E%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3
Posted by 曲学の徒 at 2015年01月20日 22:45
神武天皇は畝傍山の東北、橿原市大字洞字ミサンサイ。崇神天皇は山辺道上陵(やまのへのみちのへのみささぎ)=天理市柳本町。
綏靖天皇は桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのうえのみささぎ)=橿原市大字四条字田井ノ坪。
安寧天皇は畝傍山の南御蔭井上陵(みほといえのみささぎ)=橿原市吉田町。
懿徳天皇は畝傍山の南繊沙谿上陵(まなごのたにのかみのみささぎ)=橿原市大字池尻丸山。
孝昭天皇は腋上博多山上陵(わきのかみのはかたのみささぎ)=御所市大字三室字博多山。
孝安天皇は玉手丘上陵(たまてのうえのおかのみささぎ)=御所市玉手字宮山。
孝霊天皇は片丘馬坂陵(かたおかうまさかのみささぎ)=王子市大字王子字小路口。
孝元天皇は剣池嶋上陵(つるぎのいけのしまのうえのみささぎ)=橿原市大字石川字池上。
開化天皇は春日率川坂本陵=奈良市油坂町。
に葬られ、御陵もその通りにある。

「飛騨の口碑」には、神武天皇は飛騨皇統第39代目のスメラ命です。
飛騨皇統が日本皇統発祥です。
初代は大淡上方様(おおあわのうわかたさま)=天之御中主神で、判っているのは、2代直系命、15代淡上方様(あわのうわかたさま)、17代位山命(国常立命)、34代伊邪那岐命、35代ヒルメムチ命(天照大神)、36代天忍穂耳命、37代邇邇芸命、38代鵜萱葺不合命、そして神武が39代飛騨皇統最後のスメラ命であり初代の日本皇統の天皇です。
日本の始まりは飛騨の乗鞍岳の麓です。ここに日本人が発生し、単一民族です。飛騨から全国に人々が降りて行き日本国が出来た。
詳しくは「日本起源の謎を解く」「明らかにされた神武以前」「暴かれた古代史・二千の涙」「日本のルーツ飛騨」他、山本健造著、山本貴美子著をご覧頂ければと思います。
唐突ですが、「飛騨の口碑」を8年以上に渡り現地調査を経た後に公表されました。
門外不出の秘伝として太古より上方様の家系の若田家に言い伝えられていたものです。
Posted by Misaki-1167 at 2015年01月24日 02:29
記紀伝承によれば伊邪那岐がみそぎをして、天照大神が生まれたのは「筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小戸の阿波岐原(あわきがはら)」とされます。私は天皇家のルーツは九州島のどこかと考えています。

飛騨には御物石器という縄文末頃と思われる特異な遺物が出土します。独特の文化が存在したことが伺われます。
次のリンクは吉朝則富氏による飛騨の御物石器についての論考です。
http://h-am.jp/material/images/h22-23/2012-kiyou-shizen.pdf
「飛騨の口碑」からこの御物石器について何かが解れば面白いと思います。

Posted by 曲学の徒 at 2015年01月25日 10:41
私は欠史八代の天皇の実在を確信するわけですから、墓の存在も信じます。
現在宮内庁が孝安天皇陵とする場所の300mほど南の場所に、長径90m短径60mくらいの墳丘が存在します。このページに示す航空写真のNo2とする尾根です。これこそ真の孝安陵ではないかと考えております。
かってそこが古墳であることを実証するため発掘を行った事があります。墳丘の盛り土の中から古墳前期、あるいは弥生末と推測される多数の土器片を採取しました。私の発掘により、そこが古墳であることが確定しました。古墳であることが確定したため、現在は発掘調査は認められません。
私は尾根全体が墓域と考えています。長径160mの楕円墳で国内最大です。それをを実証するため現在も調査を続けています。
Posted by 曲学の徒 at 2015年01月25日 10:46
欠史八代の天皇こそ大事なのではないと思っていましたがこうして関心がある知識のある先輩方がいることに安心します。日本の書物としては古事記日本書紀よりも早く成立したという懐風藻は漢文ではありますが、大事に思います。というのも文字がない音が大事な時代から漢字が入りそこから仮名が生まれたならば漢文は時代として早いはずです。懐風藻の背景には大津宮があり天智天皇の頃のようです。天智と言えば蘇我を倒した方なのですが蘇我氏は天皇の筋では?との風潮も少しあります。馬子からの流れが欠史八代である可能性が少し出てきましたのでお伝えします。天智さんもその中の5代孝昭さんに当てはめるとワニさんが6代孝安さんの裏にいるように思いました。大吉備津彦として中枢から消えて地方へと。すると祭事は残った女性に任せる形で政教分離してしまう。すると政治分野に色々な方が入り込み政略争いの流れになってしまったように感じます。

6代孝安さんはとても大事な転換期の方だと思います。玉手丘陵、室秋津と私が特に気になる場所なのですが女性的なイメージでもあります。その後ろには、6代が。

一説に5代の宮は御所市池之内に比定されているようですが、この池が613年推古朝の造池の記事もあるようです。

魏志倭人伝と同じような状況を6代孝安さんの頃に上手く当てはめた可能性もあるのでは?と妄想しております。
魏志倭人伝の卑弥呼はもっと昔になってしまいますが、秋津遺跡の時代的背景を考えると奈良から九州に行きまた戻ったけど奈良から地方へ分断されたようにも思います。
ただどなたかのコメントにあるように飛騨も気になります。蘇我が天皇だとしても妃を出し続ける筋の卑弥呼に関わる国があったはずだとも。まず天皇の方から解明していきゴールは248年の卑弥呼さん探します。
お友達からの助言からの妄想に過ぎませんがこちらのプログ主さまには伝えないと卑弥呼は出てこないように思い書きます。

シュリーマンになれる方だと信じています。今後のご活躍が楽しみにしております。
Posted by りひと at 2016年06月01日 09:11
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