2015年08月20日

今、卑弥呼の王宮が明かされる。(中西遺跡新聞発表から)

 8月19日橿原考古学研究所は、秋津遺跡の南側に隣接する中西遺跡で、二六棟の竪穴住居跡を確認したと発表した。
秋津遺跡の建物遺構と同一の方位によって建てられており、両者は一体の遺跡である。計画的に配置された集落としてはこの時代最大規模である。
調査担当者の今尾文昭調査課長は「集落の規模や構造から葛城地域の首長では収まらず、初期の大和政権が運営していた祭祀用の集落ではないか」と分析している。

橿原考古学研究所は、この遺跡の重要性を全く理解していない。
ここは祭祀用の遺跡ではない。秋津嶋宮という大和朝廷の王宮の場所である。それは卑弥呼の王宮でもある。今、卑弥呼の王宮とその周辺の遺構が出土したのである。祭祀の目的で大和朝廷がこのような大規模な建物群を建造することなど考えられない。また一豪族の建物群でなく、大和朝廷(大和政権)が運営した遺構であるとは、調査担当者も認めるところである。

問題は橿原考古学研究所が考える、この遺構の年代である。橿原考古学研究所は、この遺構の年代を古墳時代前期とするが、古墳時代前期に収まるはずがない。
そのことを実証する科学的データがある。橿考研は秋津遺跡から出土した遺物の炭素年代測定を行っている。その測定値のいくつかは、古墳時代前期に収まらない。特に方形区画施設の塀や、その内部に存在する高床式建物の年代は、もっと古い年代を示している。
この事については何れ詳しく述べるつもりだ。とりあえず19日の新聞記事を見たので書き込む。
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