2016年07月08日

秋津遺跡の重要性

 1989年(平成元年)2月、佐賀県吉野ケ里遺跡が、大々的に新聞報道されることによって、話題を呼びこの年の来場者は180万人に達した。
この時、重要な役割を果たしたのは、著名な考古学者佐原真氏である。
氏は極めて上手な話法を用いた。楼観、城柵、宮室の3点セットが出土したという話法である。
あたかも邪馬台国と関連する遺構であるかの言い回しである。もちろん氏は邪馬台国九州論者ではない。吉野ケ里が邪馬台国でないと考えていた上での言い回しである。
単に弥生の環濠集落と言うだけなら、これほどまでに多くの関心を集めることは無かった。邪馬台国との関連を持ち出すことによって注目を集め、その重要性を強調したのである。氏のたくみなリードにより吉野ケ里遺跡の保存が実現し、後に国営公園としてし整備されるに至った。

私は、秋津遺跡の重要性は吉野ケ里遺跡の比ではないと考えている。ブレークすれば年間180万人を超える来場者が押し寄せると予想している。
残念ながら私は著名人ではない。現時点で私の発言をマスコミが取り上げることはない。
だがもし調査主体の橿考研が、この遺構の重要性に気づき、マスコミを通じて報道したなら、一挙に国民的関心を集めることになろう。橿考研は日本最多の考古学者を擁する研究機関である。その影響力は大きい。
私は橿考研がこの遺構の重要性をアピールする日を心待ちにしている。しかし桜井市の纏向遺跡こそ、初期大和王権の王都の場所と信じて疑わない人たちに、秋津遺跡の重要性を認識できるのであろうか。



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