2016年12月19日

椿井大塚古墳の被葬者は彦由牟隅

写真は木津川市の椿井大塚古墳後円部から前方部を撮ったものである。前方後円墳の断面を見られる特異な古墳である。奈良線が後円部の半分を切り裂く。
tubaiootukayama.jpg

私はこの古墳の被葬者は彦由産隅(ひこゆむすみ・比古由牟須美命)であると考える。
彦由産隅は竹野媛と開化の子供とされる。彦由産隅の子供が大筒木垂根である。
大筒木垂根は現在の京都府京田辺あたりの人で、京田辺市普賢寺御所内にある王居谷古墳が、大筒木垂根の墓とされる。
椿井大塚古墳は木津川を挟んで、王居谷古墳の対岸南東6Kmくらいの所にある。椿井大塚古墳は大筒木垂根がその父、彦由産隅の墓として築いたと私は考える。

椿井大塚古墳から、三角縁神獣鏡32面をはじめ、内行花文鏡2面、方格規矩鏡1面、画文帯神獣鏡1面など計36面以上の鏡と武具が出土した。
古墳時代の前期初頭で、これだけの鏡を副葬する人物は王権の相当高位の人物である。彦由産隅は私が台与とする、天豊姫と開化の子供である。この人物であればこれだけの鏡を副葬されたとして不思議はない。
出土した鏡は36面だけではなさそうである。出土は奈良線の拡張工事によるもので偶然の発見である。出土時に持ち去られた鏡が返却されたとされるが、すべて返却されていない可能性がある。

現在三面の青龍三年銘方格規矩四神鏡が知られている。中国の有名な考古学者王仲殊氏は、この鏡は卑弥呼が魏から下賜された銅鏡百面の一つであるとする。
私は鏡の事はまったく解らないが、たぶんそれで間違いないと思う。
三面の青龍三年銘鏡の内一面は、京都府京丹後市太田南5号墳出土である。二つ目は大阪府高槻市安満宮山古墳である。
三つ目は出土地不明で個人蔵である。私はこの出土地不明の一面は、椿井大塚古墳からの出土と推測する。

なぜなら椿井大塚古墳の被葬者、彦由産隅は由碁理の孫である。魏に使いした都市牛利、すなわち由碁理たちが持ち帰った、鏡の一部を持つているはずと考えるからである。

tubaiootukakofunn.gif

この鏡は個人蔵である。持ち主は出土地について、ご存知なのではないかと思う。盗品であれば、その入手した事情を話すわけにはいかない。だがもし私の推測、椿井大塚古墳出土が当たっていれば、明らかにしてほしいものである。
卑弥呼が受け取ったとされる銅鏡がどの鏡であるか明らかになるからである。わたしはこの三面の鏡は間違いなく、丹波の大縣主由碁理すなわち、239年卑弥呼の使いとして魏に赴いた、牛利につながっていると考えるからである。
posted by 曲学の徒 at 16:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 丹波と大和朝廷
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