2009年08月06日

『魏志倭人伝』の登場人物を探す事ができる。

日女命(ひめみこと)は普通名詞

私が宇那比姫を卑弥呼ではないかと思ったのは、日女命(ひめみこと)の音が卑弥呼に通じる事であった。
だが、日女(ひめ)とは後の姫(ひめ)あるいは媛(ひめ)で、高貴な家柄の女性を呼ぶ普通名詞である。
したがって、日女命という音の類似だけでは卑弥呼と断定するわけにはいかない。
六世孫日女命を卑弥呼と確信したのは、この人は世代位置から、三世紀前半の人と確信したからである。

六世孫日女命は三世紀前半の人

私は大和王権の初代とされる神武は、二世紀初頭の人と考える。107年後漢に朝貢した倭国王は、神武と考えているからである。

そして十代崇神は古事記の崩御干支から318年に没したと考えている。その活躍年代は三世紀末であろう。

私が卑弥呼とする宇那比姫はちょうど、この神武と崇神の中間あたりの人である。
一世代の平均的な世代差は25年から30年くらいの間にある。
宇那比姫は、神武世代から数えて四世代後、崇神時代から遡って三世代前の人である。ほぼ三世紀前半の人として間違いない。

『魏志倭人伝』の登場人物

幸いな事に各氏族とも神武世代の人物が誰か判明する。また崇神時代の人物も判明する。
『魏志倭人伝』に登場する人物と一致すると思われる人物が、ちょうど宇那比姫と同世代か一世代後に集中する。
koukann.gif



たとえば景初二年(238年)に魏に使いした難升米(なしょみ)は中臣氏の梨迹臣(なしとみ)であり、この時の次使、牛利(ぐり)は由碁理(ゆごり)である。
いづれも卑弥呼の一世代後の人物である。
卑弥呼が魏に遣使したのは晩年である。卑弥呼王権を代表して大陸へ赴いたのは、壮年の梨迹臣と青年の由碁理であったとすれば極めてよく理解できる。
また正始四年(243年)に魏に赴いたのは伊聲耆(いせり)すなわち梨迹臣の弟、伊世理(いぜり)である。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/himiko1/403-kennsi.htm

さらに『魏志倭人伝』は邪馬台国の官として四人の名前を記す。
筆頭に記される、伊支馬は倭氏の邇支倍(にしば)であろう。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/himiko1/401-yamatosi.htm

宇那比姫を卑弥呼と仮定する事によって、同時代か一世代後に『魏志倭人伝』の登場人物を探す事ができるのである。
このような音の類似と系譜上の世代位置の一致は、偶然では起こりえないと考える。
したがって卑弥呼は、尾張氏の宇那比姫で間違いないと考える。
posted by 曲学の徒 at 19:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 卑弥呼は宇那比姫
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