2009年09月10日

台与も葛城の生まれ

 私は誤っていた。台与の生まれた場所は丹波と思っていた。だが台与は丹波ではなく葛城の生まれである。

台与は天豊姫でまたの名を竹野姫とも云う。
竹野姫は丹波の大縣主由碁理の娘で、九代開化の妃である。由碁理は丹波の大縣主であるから、丹波の支配者で、当然丹波に住みその子供も丹波で生まれたと思っていた。だが由碁理すなわち建諸隅は必ずしも丹波に居たわけではない。

 建諸隅は丹波の大縣主ではあるが、尾張氏の当主でもある。丹波は尾張氏の支配地にすぎない。
そのために『勘注系図』という丹波の国造系譜にも当主として登場するが、建諸隅の本拠地は葛城高尾張である。
彼が丹波支配の拠点としたのは現在の京都府京丹後市丹後町竹野である。
私は竹野姫の名前はこの竹野(たかの)によると思っていた。ところうが『勘注系図』をよく読むと、由碁理のまたの名を竹野別(たかのわけ)といい、地名はこの名前に由来するとする。
竹野姫の名前が竹野別という父親の名前に由来するとすれば、丹後の竹野という地名にこだわる必要は無い。

 竹野姫の母親は葛木氏の大諸見足尼(おおもろみのすくね)の娘、諸見己姫(もろみこひめ)である。生まれは父親建諸隅の本拠地葛城高尾張である。
卑弥呼すなわち宇那比姫と同じである。
posted by 曲学の徒 at 09:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 台与は天豊姫命で開化の妃
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