2009年11月18日

大型建物の遺構が出た

卑弥呼の王宮が出土した。
現地説明会で1万人を超える見学者を集めた、桜井市の纒向の話ではない。
奈良県御所市秋津の話である。
京奈和自動車道建設に伴う事前調査が行われた、秋津小学校東200m地点である。

私はここから大型建物の遺構が出土すると予言していた。まさにその予言どおり大型建物の遺構が出土している。

フエンス越しに調査地を見た限りでは、建物の外周を取り巻く塀ではないかと思われる柱穴がマーキングされていた。

ただし卑弥呼の王宮なら三世紀前半の遺構でなければならない。
だがこの遺構から出土した土器は布留1、2式である。四世紀前半の土器である。三世紀前半の庄内期の土器は出土していないらしい。
「らしい」と言うのは、11月18日現在、調査主体である橿原考古学研究所からは、何も正式な発表はなされていないからである。

布留1式の年代なら、300年代の前半であろう。
魏の使者が240年頃見たであろう卑弥呼の王宮の年代と100年くらいの年代差しかない。
しかもこの場所から、北東に1200m離れた玉手の調査地からは、布留式の土器と庄内式の土器が多数出土している。また更に北東200mの茅原からも庄内併行期の土器が出土している。

この近辺から、庄内期の土器が出土する可能性は十分ある。
もしこの建物遺構付近から庄内期の土器が出土すれば、そこが六代孝安の秋津島宮であり、卑弥呼の王宮であると私は断言する。
なぜなら私は六代孝安天皇こそ『魏志倭人伝』が「男弟ありてたすけて国を治む」とする男弟と考えているからである。

そしてこの場所の東北東1000m、玉手山の尾根に私が径百余歩とする円墳があるのである。

なぜ私が孝安を男弟とするのかは下記にアクセス欲しい。
http://kodai.sakura.ne.jp/yamato/600-himiko-kouann.htm

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