2010年01月06日

天皇陵を掘る

玉手山の地形図である。

tamateyamaikeizu-doki.gif

私はNo2とする尾根で試掘を試みた。
赤い字で@ABとするあたりである。
@が最初と2度目に発掘を行った場所である。3度目4度目の試掘でAとBを掘った。
それぞれから土器片を採取したが何れも小さな破片で、正確な年代は確定しづらかった。
だが四度目の試掘で出土した土器片は、明らかに古墳前期あるいは弥生末まで古くなると思われる土器片である。

これらの土器片から私はこの尾根は間違いなく古墳であると考えている。
推測ではあるが、玉手山には中世に砦が築かれている。墳頂は砦などが築かれた際、削平されたのではないかと想像する。
尾根の先端に近い部分のみが残されてるのである。そこに埋葬施設があると思って、発掘を試みたがそこからは、朱らしき砂の塊が出土したに過ぎなかった。

西側は古墳を造る一等地

下記の図は玉手山の遺跡地図である。

173_tn_7fda3598a0.jpg

東側には無数の古墳が存在するが、西側で確認されている古墳は少ない。
今この玉手山の西約1kmのところで大型建物の遺構が出土している。
もしこの建物に住んだ一族が、墓を造るとすれば玉手山は格好の地である。
No1は私の発掘で古墳であることが確定した。No3は県の遺跡地図で20mの円墳と確認されている。
No2とする場所は一等地である。この尾根に古墳が造られなかったとは考えにくい。

当初地元教育委員会は、私の求めに応じてここを踏査した。その結果この尾根は、自然の地山で遺跡ではないと結論付けた。
しかしここからは次のような土器片が出土した。

doki-No2-01.jpg

doki-No2-2.jpg

doki-No2-5.jpg

もはやここが自然の地山などではないことは明らかである。

これらの尾根のすべてが古墳である。

 私が一連の遺物を玉手山の尾根から発掘したことにより、地元教育委員会は再度の現地踏査を行い、これらの尾根すべてに古墳が存在することを認めた。

問題はその大きさである。
私は尾根全体に人の手が加わっていると考える。したがってNo1は直径150mくらい。No2は楕円で長径160mくらいと推定する。
日本一の円墳と楕円墳である。

posted by 曲学の徒 at 11:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 孝安天皇陵
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/34586513
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック