2010年03月31日

御所市教育委員会は古墳と認めた

先月の中頃、御所市教育委員会は、私が古墳であると主張した場所、すべてを古墳であると認めた。
やっと1年半の時を経て、私の主張が認められた。私が掘り出した、遺物という物証の前には、自然の尾根であるという見解はもろくも崩れたのである。
しかしそれは私にとって、必ずしも喜ばしい状況ではなくなった。

当初御所市教育委員会は、そこは古墳ではないと断言した。その段階では私が玉手山で発掘調査することに何の問題もなかった。

だが昨年の夏、私が径百余歩百とする尾根から、鉄族と鉄剣を掘り出し、ここが古墳であることが確定したことによって、御所市教育委員会は玉手山の再調査を行った。
その結果、私が古墳とした場所すべてを古墳と認定してしまった。

奈良県文化財保護課は私に対して、以降玉手山での発掘は行わないようにとのお達しである。私の発掘調査は禁じられてしまったのである。
私としては何とも憤懣やるかたなしである。


私が径百余歩とする古墳から出土した遺物は、五世紀末の物である。
だが出土した場所は中心埋葬施設ではない。古墳の築造年代との関係は今ひとつ、はっきりしない。
中心埋葬部を掘れば、古墳の築造年代を確定することが出来るであろう。しかし古墳と認定された以降は私が掘ることは許可されなかった。

やむを得ず、隣の尾根の調査を続けてきた。
地中レーダー探査の失敗で、出端をくじかれたが、間違いなくここも古墳であるとの確信のもと、試掘を続けた。都合四回に渡る試掘を試みた結果、20点ほどの土器片を掘り出し、ここが古墳であることは、ほぼ確定した。
しかもその土器片の中に、弥生末か古墳前期と考えられる土器片が存在する。

私は確実な年代を推定できる遺物が出土するまで、もう少し発掘を続けるつもりであった。
しかしこの尾根も含めて、古墳と認定されたことによって、発掘を中止せざるを得ない。残念至極である。
だが何時の日か、正式な調査委員会を立ち上げて、専門家による本格的な調査を実現したいと、心に誓う今日このごろである。

posted by 曲学の徒 at 20:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 径百余歩、卑弥呼の墓
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