2010年05月12日

宇那比姫を卑弥呼とする五つの理由

第一は『勘注系図』に記される宇那比姫の別名が卑弥呼のイメージと重なることである。

『勘注系図』によればこの人は日女命(ひめみこと)と呼ばれる。
卑弥呼は日女命の音写である。
またこの人の名を、大倭姫(おおやまとひめ)と云う、大和王権の最高権力者の名前を持つ。
更に天造姫命ともする。天造姫命は国造(くにのみやつこ)より上位の名前であり、女王の名にふさわしい。
そして大海靈姫命(おおあまひるめひめのみこと)ともする。靈姫の名は、鬼道に通じていたとする卑弥呼のイメージに重なる。

http://kodai.sakura.ne.jp/konohitogahimiko/102-himiko-unabihime.htm

第二は、同族の系譜に台与に該当する女性が登場することである。

『魏志倭人伝』は台与を宗女とする。
宇那比姫の二世代後、同族の女性に台与に該当する天豊姫(あまとよひめ)という女性が居る。

http://kodai.sakura.ne.jp/konohitogahimiko/103-toyo.htm

第三は、宇那比姫の活躍した年代が、三世紀前半と思われることである。

私は古事記の天皇崩御干支から、崇神が没した年次は318年。そして初代神武の年代を後漢書が伝える、倭国王が後漢に朝貢した107年頃を想定している。
宇那比姫は、神武世代と同世代の天忍人(あめのおしひと)の四世代後、崇神の妃になった八坂振天伊呂邊(やさかふるあまいろへ)の四世代前の人である。ちょうど二世紀末から三世紀前半に活躍した卑弥呼の年代に重なる。

http://yamatai.sblo.jp/category/776682-1.html


第四は、魏志倭人伝に登場する人物を比定できることである。

宇那比姫を卑弥呼と仮定することによって、魏志倭人伝に登場する人物を確定できる。
それは単に音が似るだけではなく、世代的に整合性がある。またその氏族の立場を反映している。

すなわち邪馬台国の高官、伊支馬(いしば)は、倭氏の邇支倍(にしば)で、彌馬獲支(みまくち)は物部氏の水口(みなくち)であろう。

また239年遣使と成った難升米(なしょめ)は中臣氏の梨迹臣(なしとみ)。都市牛利(としぐり)は、後に丹波の大縣主となる尾張氏の由碁理(ゆごり)であろう。
また正始四年(243年)の遣使、伊聲耆(いせり)は梨迹臣の弟である、伊世理(いぜり)である。
邇支倍が宇那比姫と同世代、水口、梨迹臣、由碁理、伊世理が一世代後である。
そして台与が天豊姫で、後に開化の妃になった竹野媛である。この人は宇那比姫の二世代後である。
これだけの一致は偶然では起こりえない。

http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/himiko1/405-sedai.htm

第五は、宇那比姫の子孫の墓から、卑弥呼が受け取ったと考えられる刀が出土していることである。


宇那比姫の夫は天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひと)である。天足彦国押人命は和邇氏(わにし)の始祖とされる。
この和邇氏の墓である、東大寺山古墳から中平銘の刀が出土している。この刀が卑弥呼に贈られた刀であれば、宇那比姫の子孫の墓から出土したことにより、宇那比姫が卑弥呼であることの傍証となる。
http://kodai.sakura.ne.jp/yamato/607-tetukenn.html


posted by 曲学の徒 at 11:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 卑弥呼は宇那比姫
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