2011年01月12日

日本一の円墳であることを実証したい

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「きつね塚」と称されるこの玉手山の古墳は、尾根上に墳丘を築く。
その盛り土の範囲は直径22m程に過ぎない。
しかし尾根全体を墳丘とすれば、それはまさに150mの円墳である。


このような地形を自然の造形とは考え難い。
尾根全体に人為的な手が加わっていると考える。

これが玉手山以外の場所であれば、私はたとえこの航空写真を見せられても、150mの円墳などと言い出すことは無かった。

玉手山という場所が150m円墳の根拠

私の仮説では六代孝安天皇は卑弥呼の義理の弟である。魏志倭人伝が「男弟有りて佐(たすけ)て国を治」とする男弟である。
『記紀』伝承によれば孝安は玉手山に葬られたとする。卑弥呼もまた玉手山に葬られた可能性がある。
そこに直径150mの円墳らしき尾根を見たわけである。これこそ卑弥呼の墓と考えるに至った。
これが径百余歩すなわち150mの円墳と、執拗に主張する私の根拠である。

何とかして、尾根全体に人為的な手が加えられていることを実証する、手立てがないものかと思案している。

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私がNo2とする尾根から古い時代の土器片が出土した。もはや古墳であることは間違いない。

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この尾根の先端は削り取られていると推測する。
茶色の線で囲んだ範囲である。これが尾根全体に手が加わっているという証拠にならないかとと考える。

No1とNo3の緑で囲んだ円形の部分が土盛りがされている範囲である。No1は私の計測によると、おおよそ直径22m。
No3は県の遺跡地図で直径20mとされる。
No2について、土盛りの範囲を確認するために、私は斜面の雑木を帯状に伐採し、傾斜変更点を探った。だが今のところ土盛りの範囲を明確にできていない。航空写真などから、おおよそ青線で囲んだ範囲ではないかと推測している。No1、No3よりやや大きいのではないかと想像する。
posted by 曲学の徒 at 11:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 径百余歩、卑弥呼の墓
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