2011年12月26日

国立博物館に存在する卑弥呼の遺品

 東京国立博物館に卑弥呼の遺品と考えられる品がある。
中平の年号が刻まれた、後漢時代の鉄刀である。出土したのは奈良県天理市の東大寺山古墳からである。
おそらくこの刀は卑弥呼の朝貢に対する下賜品であろう。

中国大陸では後漢時代の鉄刀は何千と出土している。だが年次の刻まれた刀は2〜3振しか知られていない。
その1振りが日本列島から出土したことである。考えられるのは朝貢の際、相手から下賜された品という推測である。

この刀を発掘した金関 恕(かなせきひろし)氏は刻まれた文字の字体から次のような見解を述べる。
後漢の官営工房の字体は、様式化が進んだ隷書体(れいしょたい)となる。これに対し出土した刀の字体は稚拙ではないが、様式化が進んでいない。したがって後漢の官営工房の象嵌(ぞうがん)ではなかろうとする。後漢の都、洛陽以外の地で象嵌されたのではないかと推測する。

tyuuheimei.jpg

この事から私は189年遼東王(りょうとうおう)を名乗った公孫度(こうそんたく)からの下賜品ではないかと考える。
公孫度は元は、後漢王朝の地方官に過ぎないが、後漢王朝の衰退に乗じて、遼東王を名乗り半独立国家を樹立したとされる。

 大和朝廷はこうした大陸の政治情勢に極めて敏感に反応する。
239年、卑弥呼が魏に使いを送るのも、魏が遼東の公孫氏を滅ぼし中国東北部の覇権を握った翌年である。また266年台与が西晋に使いを送ったのも、司馬炎が魏の支配地域を引き継ぎ、西晋を樹立した翌年である。
おそらく公孫度が、遼東王を名のった189年に、卑弥呼による公孫氏への朝貢が有ったと推測される。そしてその際下賜されたのが、東大寺山古墳出土のこの刀であろう。

なぜ卑弥呼の遺品が東大寺山古墳から出土した


 それではなぜその刀が東大寺山古墳から出土したのかである。
東大寺山古墳のある奈良県天理市櫟本(いちのもと)町あたりは、古代有力豪族、和邇氏(わにし)の住んでいた場所である。
東大寺山古墳は、この和邇氏の墓なのである。
和邇氏の祖は、天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)である。天足彦国押人命は、五代孝昭と尾張氏の世襲足媛(よそたらしひめ)の長男である。
そして私が卑弥呼とする宇那比姫(うなびひめ)は、この天足彦国押人命の妻なのである。
したがって和邇氏の子孫は宇那比姫の子孫でもある。

takefurukuma.gif

宇那比姫の子孫の墓から、卑弥呼の遺品が出土したのである。このことは宇那比姫が卑弥呼であるこを裏付ける。

また私はこの東大寺山古墳の被葬者は、建振熊命であろうと推測する。建振熊命は363年丹波、但馬、若狭の海人300人を率いて神功の新羅出兵に参戦、帰国後仲哀の遺児押熊王(おしくまのみこ)を滅ぼし神功、応神朝樹立の功労者として、丹波、但馬、若狭の国造に成ったとされる。
この人は東大寺山古墳築造の年代とされる、四世紀末頃亡くなったと考えるからである。


posted by 曲学の徒 at 11:26 | Comment(7) | TrackBack(0) | 卑弥呼には夫も子もあった
この記事へのコメント
ごんばんは
教えてgooに回答した、らぱんです。
1月末で5次調査は終わりました。
Posted by らぱん at 2012年02月01日 22:47
情報ありがとうございます。
遠方のため現地の様子が解りません。今後ともよろしくお願いします。

調査はまだ続くと思われますが、当面何時頃まで続くのでしょうか?

Posted by 曲学の徒 at 2012年02月04日 11:12
来年度も調査はありますが、4月にならないと範囲とか担当者はわかりません。
あと2年ほど調査が続くのではないでしょうか?
今までは京奈和道の本線にあたる所を先行して調査されてきました。
ブログを見させて頂いて色々質問したいのですが記事ごとにコメントしたらいいのですか?
Posted by らぱん at 2012年02月23日 21:07
記事ごとにコメントを書き込んで頂ければ、そのページのアドレスを付けたメールが私のところに届きます。
ただし、しばらくメールを見ていないことがあり、今回のように返事が遅れることがあります。

秋津遺跡の2010年11月と2011年8月の現地説明資料を読んでいて疑問に思うことが噴出しました。
ぜひこの点について、らぱんさんにご意見をお伺いしたと思います。


Posted by 曲学の徒 at 2012年03月01日 00:41
らぱん様へ

http://kodai.sakura.ne.jp/nihonnkennkokusi/

こちらのページの一番下にメールアドレスを画像として張りつけてあります。

直接メールをいただければ嬉しいのですが・・・。
Posted by 曲学の徒 at 2012年03月01日 00:50
前略
桂川光和様のお名前私のまぐ講「邪馬台国卑弥呼はアユチ(愛知)族の女王様」で書かせていただきました。曲学の徒さんの方が良かったでしょうか。悩みましたが、すみません実名の方がいいような気がして。今邪馬台国探しをしていたのですが、貴殿様の「卑弥呼の系図」に出会ったので、それもありかなと思います。というのも私は余り愛知・名古屋等詳しくないので、今後勉強しようと考えます。メアドあちこち探して此処に辿り着きました。12日号にお名前載せます。もしノオでしたら至急ご連絡いただきたくお願いいたします。百瀬 拝  8月9日
Posted by ももちゃん at 2012年08月09日 04:27
私のブログや説の紹介、引用はすべてOK。
名前は桂川光和、曲学の徒何れでも可。

愛知県には葛城に居た尾張氏の乎止与命(小登与)が、愛知県に移りその後の尾張氏となります。
乎止与命と関係する神社があります。
緑区の氷上姉子神社。ここは乎止与命の館跡とされる場所です。
乎止与命の子宮簀媛が日本武尊のかたみ、草薙の剣を祭神として奉祭するのが熱田神宮。
この系譜は乎止与命−建稲種命ー尾綱尻綱根−針綱根と続きます。愛知県犬山市の針綱神社はこの針綱根が御祭神です。
何れも宇那比姫すなわち卑弥呼とは遠い先祖を同じにする同族です。


Posted by 曲学の徒 at 2012年08月09日 10:59
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