2012年09月23日

方形区画施設の年代

下の図はたぶん橿考研によって描かれた、方形区画施設1.2.3.4.6のイメージ図であろう。

akitu.jpg

方形区画施設と名づけられた、塀が囲む高床式の建物は一般的な住居ではない。これだけ大掛かりな塀に囲まれる建物は、かなり特殊な建物である。
一方、図の左下に描かれたような竪穴建物は、一般的な住居である。

橿考研はこのように方形区画施設は高床式の建物を囲んでいたと推測するのである。
にもかかわらず、三回に渡って建て替えられた最後の方形区画施設の年代を、SB0001aとされる竪穴建物と同時代とする。

houkeikukaku.gif



nenndaijyunni-1.gif



SB0001aはその切り合い関係から、大型建物SB0029→SB0001b→SB0001aの順序で建てられた事が解っている。
SB0001aと最後に建て替えられた方形区画施設6とを同時代とする限り、そこには大型建物SB0029は存在しないのである。
大型建物を囲んで方形区画施設が建て替えられたとする記述と矛盾する。

私は方形区画施設が図のように大型建物を取り囲んで建て替えられたという認識は正しいと考える。
問題は方形区画施設6とSB0001aとを同時代とする推測に問題があると考える。

同時代とする根拠は、方形区画施設6の柱穴から出土する炭化物を、火災で焼失したとされるSB0001aの炭化物とすることによる。
しかしその炭化物が本当にSB0001aの物かどうか確かな決め手は何も無い。同時代とする根拠は、このような脆弱な論拠の上に成り立つ推測なのである。
おそらく方形区画施設6とSB0001aを同時代とする推測が誤りなのである。

私は次のように推測する。

方形区画施設はイメージ図が示すよう、大型建物を囲んで三回に渡って建て替えられたと考える。当然最後の方形区画施設6も、大型建物の為に建てられたのである。
すると次のような関係が推測される。

nenndaijyunni-2.gif

そして焼失したSB0001aの布留古相あるいは中相の年代から遡れば、最初に造られた方形区画施設3の年代は相当古いのである。私は二世紀の末くらいまで古くなる事を予想している。




この記事へのコメント
これは書き込みテスト
Posted by 曲学の徒 at 2012年12月14日 22:33
最近発掘された、御所の田園遺跡、加茂氏時代との関係はありますか?
Posted by オクデマサト at 2013年03月30日 11:38
御所の田園遺跡というのはまだ存じていません。
御所市のどこらあたりで発掘された遺跡ですか?
Posted by 曲学の徒 at 2013年03月30日 12:52
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