2013年08月31日

卑弥呼の系図

私とて卑弥呼という人物が、ここまで明らかになるとは思いもしなかった。
系譜伝承のすごさを知ることになる。

himiko-keizu.gif

PDFファイルはこちら
himiko.pdf

私は系譜という文献の中に卑弥呼や台与を見た。しかしそれのみではその系譜伝承がどこまで正しいかを見極めるのは難しい。
そこで物的証拠を提示することによってその正しさを立証する事に努めた。

『魏志』倭人伝は卑弥呼について「年すでに長大、夫婿無し」とする。夫が無かったとする。
当初、私も卑弥呼は生涯独身の女性で夫は無かったと思っていた。
だが和邇氏系譜により、私が卑弥呼とする宇那比姫には子孫のある事が判明した。
その子孫の墓である東大寺山古墳から出土した中平銘鉄刀を提示することにより、卑弥呼には夫があり、その子孫が在ったことを立証できたと考える。

詳しくはこちら

http://yamatai.sblo.jp/category/872520-1.html

また『魏志』倭人伝は「男弟有りて佐(たす)けて国を治む」とする。卑弥呼の政治を補佐する弟が有ったとする。系譜伝承から弟とは六代孝安天皇であることを突き止めた。
孝安の宮は秋津島宮である。それにより卑弥呼の王宮は秋津島宮であることが解った。
現在京奈和自動車道建設の事前調査で、秋津遺跡と名付けられた遺構から、大型の高床式建物を塀で囲む特異な建物群が出土している。ここは「室(むろ)」という秋津島宮伝承地である。調査主体の橿原考古学研究所は、この遺構の年代を三世紀末から四世紀半ばの遺構とする。
だが私はそこから出土した多孔銅鏃によって、この遺構が二世紀末から三世紀半ばに及ぶことを立論した。またそこからは、東海を初め、瀬戸内海西部、瀬戸内海東部から持ち込まれた土器が出土する。この事を以てここは王都の場所であることを主張する。
秋津島宮こそ卑弥呼の王宮なのである。

詳しくはこちら

http://yamatai.sblo.jp/category/776681-1.html

そしてこの秋津島宮の北東1.5kmのところ玉手山に、径百余歩の尾根と一体になる古墳を発見した。
玉手山は孝安が葬られたという山である。卑弥呼もまたこの山に眠るとしても不思議は無い。
私は、宇那比姫が卑弥呼であることの決め手となる、径百余歩の卑弥呼の墓を提示するのである。

詳しくはこちら

http://yamatai.sblo.jp/category/776680-1.html
posted by 曲学の徒 at 11:38 | Comment(7) | TrackBack(0) | 卑弥呼は宇那比姫
この記事へのコメント
初めまして。

私の父が熱心な卑弥呼の研究家でホームページを開いています。
『誰も私の考えを否定できる人はいない!』と豪語しており、
詳しく知らない私(普通の会社員)は黙って聞くことしか出来ず、
他の研究家の方ならその内容も分かるかと思い、
また違った意見で議論できる部分もあるのではと思い、
こちらに書き込みさせて頂きました。
さわりの部分だけでも読んで頂けたらと思います。
宜しくお願い致します。

HP:http://www.kurumi.sakura.ne.jp/~mmrnet/yamataikoku/index.html
Posted by tomo at 2013年12月23日 18:35
邪馬台国や卑弥呼についての論者は星の数ほどあります。
やっかいなことに、どの仮説も完全に同じものまったく有りません。論者の数だけ仮説かあるのです。しかも仮説を主張する人は自分の仮説が絶対正しいと思っています。
かく言う私もその一人です。

お父さんの仮説に若干の論評を加えさせて頂きます。
総じて良く出来た論だと思います。『古事記』の崩御干支を中国史書で検証する。
年代推定に世代数を用いるなど、私とまったく同じ手法であります。さすがにお父さんは理系の方らしく統計などにもくわしく優れた論考と思います。ただしその結論をそのまま受け入れ難い点があります。
(次のコメントに続く)
Posted by 曲学の徒 at 2013年12月25日 10:41
私も世代数と世代間隔から年次を推定するという方法は有効と考えます。ただし、推定値には相当の誤差が伴います。
お父さんは世代間隔を25.45年とされますが、これはあくまで特定の系譜の特定の期間の平均です。数値に間違いがあるわけではありませんが、その数値でどこまで正確に推定できるかは疑問です。
たとえば貴女の家に十代遡れる家系図が有ったとします。十代前の祖先の年代は250年前と断言で切るでしょうか。たとえば私の父は101歳です、祖父は60代で亡くなりました。誰のどこを基準に遡るかによって推定値は大きく異なります。おおよそ、その頃の人と言うことは解りますが、数十年の誤差は有り得るでしょう。

また私が調べた家系図では平均の世代間隔が27.3年になりました。こちらも数字に誤りがあるわけではありませんが、お父さんの25.45とは少し違います。平均世代間隔にはバラツキがあるのです。おそらく25年〜30年くらいのバラツキは有るでしょう。
http://kodai.sakura.ne.jp/kanntyuukeizu/10-3-sedaisuu.html


更にやっかいなのは世代数が正確か否かです。お父さんも天皇系譜の世代数に疑問を持ち
、物部氏系譜で世代数を修正されます。この点の手法も私と同じです。しかしその修正された世代数は近似値ではあって、どこまで正確かは保障できません。異なる氏族の世代数が10世代完全に一致するわけではありません。
(コメント続く)
Posted by 曲学の徒 at 2013年12月25日 10:53
ホケノ山古墳を卑弥呼の墓とする論は疑問があります。
お父さんに聞いてみてください。
ホケノ山古墳からは鉄の刀や弓矢の矢じりなどの武器はたくさん出土しています。しかし首飾りや、腕輪など女性の持ち物は出土していません。
なぜですかと聞いてみてください。
もしあなたがすっきりと理解できる形で、明快な回答が得られたならお父さんの説を支持してあげてください。だがすこしまわりくどい説明で、あなた自身が納得できない場合にはお父さんの説に無理があるのです。
しかし質問するだけに留めておいてください。議論しても無駄です。お父さんが自説を変える事はありません。
Posted by 曲学の徒 at 2013年12月25日 10:57
門林の地名から山梨県笛吹市八代竹居門林の八代町誌から過去・現在ヘ、比企門林と下野足利細川速水門林の私に繋がります。津和野門林・大分速水・近江速水・北杜速水の地元の資料から世界アダム・エバ末裔ガド・タバオト・エリオト(いざなぎ・いざなみ)家系とアリエル末裔ロームス家系カエサルのジュリアス・シーザー(崇神天皇)ゲルマニクス・カエサル(景行天皇)の皇后大アグリッピナ(初代卑弥呼)二代目卑弥呼(小アグリッピナ)が垂仁天皇(クナウドミティウスローマ執行官)三代目と再婚、伊勢神宮創建西暦50年に倭姫として奈良田原本鍵遺跡で鋳造鏡を奉納(
鎮座)した古事記記述。ゲルマニクスカエサルからドルスス・カエサル(景行天皇二代目)大和タケル(オウス・カエサル)が弟橘姫と婚姻、ワカタケ彦王誕生。富士山噴火で比企門林に避難。後下野、豊城入彦王(垂仁天皇の兄)の家系と婚姻。足利・細川・速水・門林に6000年(紀元前4000年)更に神国縄文民族長野白馬三山八方飯森・釈迦堂・東近江相谷熊原縄文民族に遡り14000年の家系が繋がります。
Posted by 門林光治 at 2016年03月25日 13:13
門林さんはギリシャ人の血をひかれるのですね。お会いすることは無いと思いますが、きつと青い目とブロンドの髪の持ち主でしょう。
DNA鑑定をされたらきっと面白い事実が判明すると思います。
Posted by 桂川光和 at 2016年03月26日 20:21
桂川さん14000年家系でアジア地域で8000年地中海で6000年。ギリシャは、2000年白・黒遺伝子は、黄色人種です。DNAの14%です。紀元前12000年から現在まで560人のご先祖で、78人がギリシャ系です。青の遺伝子は80%で14000年の内11200年ギリシャ在住で青い目が誕生します。DNAは、ご先祖の比率で変わります。
Posted by 門林光治 at 2016年04月10日 20:00
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