2009年07月21日

和邇氏系図に登場する宇那比姫

 和邇(わに)氏という古代有力豪族がある。和爾、和珥、丸、丸邇などとも表記される。

私が卑弥呼とする宇那比姫命がこの和邇氏系図に登場するのである。
尾張氏はもちろん関係の深い海部氏に登場するのは不思議はないが、まさか和邇氏系図に宇那比姫命が登場するとは予想だにしていなかった。私にとって驚きであった。

太田亮(おおたあきら・1884〜1956)とい系譜研究者が著した、『日本姓氏家系大辞典』という事典がある。
その中の和邇部氏系図に『押媛命(一に忍鹿比売命、母は建田背命の妹、宇那比媛命也)』とする記述を見た。
宇那比媛を建田背命の妹とするから、尾張氏系図に登場する宇那比姫で間違いない。尾張氏や同族の海部氏とはまったく成立の事情が異なる和邇氏系図に、宇那比姫命が登場しているのである。

太田博士は、この和邇部系図について、「真偽詳らかならざれど、参考の為に引用せん。」として「上古の分は偽作なり」とする。
私は偽作とは考えない。その理由はいくつかあるが、一例をあげる。

開化の皇子に彦坐という人がある。『日本書紀』や『古事記』では彦坐の妃として、母親の妹、すなわち叔母の祁都比売(おけつひめ)を妃にしたとする。母親とその妹の年齢が大きく離れていれば、あり得ないことではないかもしれないが、ちょっと信じがたい。
ところが和邇氏系図では、よく似た名前の袁祁都依比売(おけつよりひめ)である。母親の姪である。
こちらの方が『記紀』伝承より信じられるのである。
したがってこの和邇氏系図は上古の部分も偽系図ではない。

この系図の詳しい考証については下記に記す。
http://kodai.sakura.ne.jp/yamato/600-himiko-kouann.htm
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男弟は六代孝安天皇

 この押媛命(おしひめのみこと)または忍鹿比売命(おしかひめのみこと)とよばれる女性は、天足彦国押人命という人の子供である。したがって、押媛命の母親を宇那比姫命とするわけであるから、宇那比姫命は天足彦国押人命の妻である。

天足彦国押人命には、日本足彦国押人命(やまとたらしひこくにおしひと)という弟がある。すなわち六代孝安天皇である。すると六代孝安天皇は、私が卑弥呼とする宇那比姫の義理の弟に相当する。

その関係を下に示す。

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『魏志倭人伝』は卑弥呼には、男弟があって国を治めるのをたすけていたとする。卑弥呼の政治を補佐する男弟があった。
この男弟こそ六代孝安天皇なのである。

この和邇氏系図に宇那比姫を見つけたのは私にとって驚くべき発見であり、また従来からの思い込みを訂正させる事にもなった。
私は卑弥呼は独身の女性と思い込んでいた。ところうが天足彦国押人命という夫が有ったのである。
天足彦国押人命は五代孝昭天皇と尾張氏の女性、世襲足媛命(よそたらしひめのみこと)との子供である。
魏の使者が邪馬台国を訪れた時、すでに天足国押人命は亡くなっていたのである。
卑弥呼すなわち宇那比姫は、二世紀の終わり180年前後に王位に擁立されたと思われる。

魏の使者が邪馬台国を訪れた、240年頃には相当な高齢である。したがって実際の政治を取り仕切っていたのは、義理の弟である孝安天皇であった。
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