2009年11月29日

掖上池心宮を推測する

 五代孝昭の掖上池心宮の跡地についてもピンポイントで予言しておく。

帝王編年記による五代孝昭池心宮の伝承地は大和国葛上郡掖上(かつらぎのかみのこおりわきがみ)である。また六代孝安の秋津島宮は大和国葛上郡牟婁郷(むろごう)である。
京奈和自動車道は御所市の掖上や、室(むろ)秋津などの広い範囲を縦貫する。必ず古代の遺跡に遭遇すると確信していた。

昨年の12月御所市茅原の調査地河川跡から、庄内式併行期の土器が出土したと聞いた。
調査担当者からその報告を聞いて「いよいよ出始めたか」という感慨を持った。
下の写真は茅原の発掘状況(御所市調査報告書から転載)

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そして今年の10月、玉手の調査地河川跡からも布留式や庄内式の土器が出土している事を聞いた。
私はこの河川の上流に掖上池心宮が在ったと推測している。

下の写真は玉手の発掘状況(御所市調査報告者から転載)
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 現在池心宮跡地の石碑が建つ場所がある。御所実業高校前のブロック塀に囲まれた畑の中である。

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今年の夏一応ここも訪ねた。しかしここは池心宮跡ではなかろう。
御所実業高校建設に伴って事前発掘調査が行われている。
ここは高校に隣接する場所である。もしこの石碑の建つあたりが池心宮跡なら、事前調査でその時代の遺物が出土してもおかしくない。出ているのは縄文頃の遺物だけである。したがつてここではなかろう。
石碑が建立されたのは大正四年である。奈良県は大正天皇即位を記念して、古代天皇の伝承地などを聖跡として、石碑を建てたようである。しかし何を根拠にしたのか解らないが、あまりあてにはならない。

 私が予想するのはここよりもう少し西である。大月池という池の西300mの地点である。
伝承によると孝昭掖上池心宮は「よもんばら」あるいは「よもぎ原」という場所に在ったとされる。現在も御所実業高校の西側の一帯を「よもんばら」と呼ぶそうである。
また江戸時代、林宗甫という人が著した和州旧跡幽考という書物によると、伝承地を「御所村と池之内の中間」とする。その場所はこのあたりではないかと考える。

道路の予定路線は大月池の上を通り南西に延びる。
このあたりも発掘調査が行われたが、西から東に小さな小河が流れる低湿地の場所である。
大型の建物遺構などが出土するとすれば、この予定路線より西のもう少し高い場所と考える。


 私は五代孝昭は卑弥呼が擁立される前の天皇と考えている。したがってその活躍年代は170年前後を想定している。
先の茅原から出土した土器の年代を調査担当者は今から1800年くらい前の土器とする。
中には東海系の土器も含まれるとする。
纒向遺跡では、各地から持ち込まれた土器が出土する。このことから纒向は物資が集積する都市であり王都とする論がある。
その論に従えば、東海系の土器が出土した、この地域もそのような物資が集積する場所なのかもしれない。
posted by 曲学の徒 at 16:24 | Comment(1) | TrackBack(0) | 掖上池心宮