2010年08月02日

狗奴国は玖賀国(くがこく)

狗奴国とは陸(くが)国である。玖賀国とも表記される。その親玉は陸耳御笠(くがみみのみかさ)である。
陸国とは現在の北陸にあった国で、古くは北陸地方の事を、陸(くが)と呼んだ。

陸国は崇神の時代、開化の皇子、彦坐王(ひこいますのきみ)と、尾張氏の倭得玉彦命(やまとえたまひこ)によって滅ぼされる。
http://kodai.sakura.ne.jp/kanntyuukeizu/2-08-4kugamimi.htm
その戦いの様子が、丹後風土記残欠という書物に詳しく記される。

崇神の時代、狗奴国に勝利した邪馬台国、すなわち後の大和朝廷は、四道将軍を各地に派遣し、列島の広い地域を支配下に収める。

狗奴国と戦った難升米

陸国(狗奴国)は、彦坐王と倭得玉彦命によって滅ぼされる前、邪馬台国と激しい戦いを繰り広げている。
この戦いで邪馬台国の将として戦ったのが、中臣氏の伊香津臣(いかつおみ)やその子供、梨迹臣(なしとみ)である。

この梨迹臣は239年卑弥呼の遣使として魏に渡った難升米である。また魏は、梨迹臣に黄幢を与え魏の支援を表明した。

梨迹臣には臣知人(おみしるひと)、いぜり姫、なぜり姫と云う兄妹がある。その他にも、畝尾連の祖とされる伊世理(いぜり)という弟が在る。この人は243年遣使として魏に渡った伊聲耆である。

難升米が狗奴国と対峙していた場所

伊香津臣や梨迹臣が、狗奴国と対峙していた場所は、琵琶湖の一番北、余呉である。ここは北陸に抜ける、軍事上の要衝の地である。
伊香津臣は余呉南、木之本の伊香具神社(いかごじんじゃ)に祀られる。




伊勢湾岸濃尾平野は狗奴国ではない

赤塚次郎氏は、狗奴国伊勢湾沿岸濃尾平野説を唱える。
しかし纒向をはじめとする畿内には、東海系の土器が多く搬入されている。
東海が畿内と敵対していた事を裏付ける、明確な証拠はない。

濃尾平野が三世紀の段階で、大和王権の政治的影響下に在ったかは不明であるが、愛知県に近い滋賀県や三重県は、大和王権の影響下にある。
先にあげた陸耳御笠と戦った、倭得玉彦命の妻は、伊勢湾岸に近い、淡海(滋賀県)と、伊賀(三重県)の出身である。
posted by 曲学の徒 at 17:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 狗奴国